my proud story

proud story代表 知夏七未です。proud storyプロジェクトにこめた想い、私なりの”素敵な自慢話”。

私を育ててくれた場所 ~上智編

なんだかご縁が繋がって最近のproud storyは色々な企業さんや学校さんにお世話になるようになっているのですが、その中でも感慨深い機会がいくつかありました。

格別な思い入れを持った理由は、そこが私を育ててくれた愛着のある場所だから。

というわけで 出身の地の想い出話語ります、が、例によって恐ろしく長くなったので今回は上智編。

 

 

母の母校ということもあって子供のころから知っている大学といえば上智大学

国際的な校風にも惹かれ入学したものの、当時は毎日が必死でした。

ずっと”国際的な人”になりたくて憧れの上智に入ったけど、国際的であることが当たり前のような人たちに囲まれてどうしたら自分が国際的になれるのかよくわかんなくて、っていうか”国際的”ってなんやねんと悩むこともあったなぁ。

”日本人”なのに人生の大半を外国で暮らして私とは全然違うアイデンティティーを持った同級生、いろんな見た目の人たちがわいわいしている食堂や廊下、当たり前のように日本語と英語のスイッチを切り替えてぽんぽん飛び交う会話。

純ジャパ(海外経験のない日本人のこと、上智ではそっちがマイノリティーだったのでこういう言葉があった)の私にはどれも新鮮で、憧れとわくわく感、そしてコンプレックスに包まれていた。

真面目に授業受けても1年生の時は授業が聞き取れなくて、宿題忘れたりテストが1人抜き打ちになったり(前の週に先生言ってたのを聞き取れてないだけ)したなぁ。友達との話題もハロウィンの時とか(当時は日本にハロウィンなくて、ハロウィンの思い出なんて無ぃ~と内心思ってた)プロムの話題とか(プロムて何???!!状態の私)ちょいちょいついていけなかった。

途中から私の英語力に気づいたクラスメートが先生こう言ってたよ、って教えてくれるようになって大変お世話になりました(笑)

 

そんなレベルで授業も必死だったのに、大学入学とほぼ同時にダンスにのめりこみダンススクールの養成コースにも入ったので勉強とダンスとバイトで怒涛の毎日。

出来るだけ午前中に授業を固めて、朝早く登校して誰もいない体育館でこっそりダンスの練習して、授業が終わったら大学を飛び出して電車の中で分厚い洋書と携帯とにらめっこしながら課題をこなし、後は夜までダンスという生活でした。

だから大学にいる時間は必要最低限、けど大学がすごく好きだった私。

授業は面白いものが多かったし、語学力や国際感覚が当時の私とは桁違いな友達は刺激になりまくったし、子供のころのイメージ通りのザ・国際的なキャンパスにはそれが”自分の学校”になってからも心が踊っていて。なんなら今でもその憧れを感じちゃいます。

 

 

そんな母校のおかげでふと気づけば英語力はかなり鍛えられ、たぶん”国際的”にもなれた。 

それに、育った場所の価値観って自分の中になんとなく残るもので”上智っぽさ”は今でも私の中にあると思う。

去年、大学が発行する卒業生活動集に載せていただいたのですが、そのテーマや他のかたのご活動や言葉にあぁ私はここで育ったんだなぁなんてしみじみ実感しました。

なんか。。同じにおいがするというか。

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 大学生の時、フィリピンでの活動を始めた私に”親孝行は親じゃなくて次世代にしなさい”という言葉をくださったのも元上智の大先輩。

受けた恩はその人に返すのもいいけど、その人がきっと喜ぶであろう別の人・特に若い人たちにするといい、だからフィリピンでの活動はきっと親孝行にも繋がるよと背中を押してくださった言葉を今でも私は大切にしています。(母の学生時代の友人なので私の親事情をよく知っていらっしゃる)

大学の授業でわざわざ教わるわけじゃないけれど、この哲学を私は”上智っぽい”と思うし、素敵だなと思うし、大切にしたい。

 

なんか。。やっぱり母校って特別です。

 

そんな愛しの我が母校、授業でお話しするのは今回初めてでしたが。

ぱっと見はまじめに見えなくても”グローバル化する世界での人権と文化のバランス”というスーパー難しいテーマを真剣にディスカッションする学生さんにもすごい懐かしさというか既視感(笑)

そうそう、上智大生ってなんだかんだまじめなんだよね~。

最近いろいろな学校にお邪魔しているけれど、大学生が200人弱?いてほぼ全員がちゃんと参加してるってかなりすごいと思う。

そんな学生の皆さんにどれだけインスピレーションをお伝え出来たかわかりませんが、授業後に声をかけてくれた学生さんが何人もいてなんだか嬉しかったです。

総合グローバル学部という新設の学部で国際的なことに興味がある子たちばかりだったと思いますが、それぞれの形で世界との素敵な関係を作っていってほしいなぁとすごく思いました。

秋には在籍していた英語学科の授業で授業を持たせていただきます。

おいおい私が大学で先生とかご冗談でしょという気しかしませんが、楽しみだしこういった機会をいただけることが本当に嬉しくて有難い。

 

授業についていくのも厳しかった純ジャパ学生だった私なりに今の学生さんになにかを伝えて、少しでもご恩を返せるようになれたらいいなと思うわけです。

 

 ふふふ。

 

 

ちなみに、proud storyはもろ大学の勉強の延長線上にあって。ゼミ研究で結論が出なかった問いへの私なりの答えな気はしています。

国際政治経済のゼミで途上国の経済とかを学び、世界の経済格差をテーマにしていたのだけれど当時の私は問題はわかったけどどうすればいいの?状態で。

農家と地主や多国籍企業のパワーバランスで論文を書こうとしたものの、当時ブームで格差解決の答えだとされていたフェアトレードも絶賛はできず。。それって結局フェアトレード商品扱ってる多国籍企業がイメージ的にも売り上げ的にも一番得だよな~、農家の人はそりゃ搾取されるよりハッピーだろうけど、本当にこんな広告の通りなのかなぁ、このストーリーを農家さんが見たら自分たち使って企業が美談作ったなと思わないのかなぁと穿った見方をしだしたら仮説も結論もでやしなくて。

 

。。。で、結果、論文の代わりにでっかい麻の袋に入ったコーヒー豆をぶちまけて踊るという暴挙に出たのは私ですwww

クセのつよ~い先生が論文は文章じゃなくてもいいっていうから文章じゃない形にしたし、本や論文もいっぱい参照して大真面目に取り組んだし、先生は面白がってくれ単位も無事に頂けたのですが。

 

あの時からもやもやしていたこと、結局どうすればいいとおもうのかを言語化するのに10年かかりました、全然卒業に間に合いませんでした(笑)

私なりの解決案を具体サービス化するにはさらにあと10年くらいかかりそう。

でも時間をかけたからこそ、ブランドイメージやautonomy(自治・自主性)とか、自分が心から納得のいくキーワードで語れるようになった。

ゼミの先生には卒業後もずっとお世話になっていて、10年越しに言語化できたproud storyと私を上智にご紹介くださり今のご縁につなげてくださいました。

先生ありがとう、もうコーヒー豆ぶちまけて嘆きの舞は踊りません(笑)

 

 

 そんなわけで、やっとこさ形になった大学時代の学びを私も生かし深めつつ、今の学生さんにも刺激になるようなことを伝えていけたらと思っています。

年代を超えて一緒に学べるようなこともしたいなぁと今事務の方々ともご相談中。

 

育てていただいた恩返しができるようになることを目指して顔晴りますよん。

 

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 人生は一生学びだね~。