my proud story

proud story代表 知夏七未です。proud storyプロジェクトにこめた想い、私なりの”素敵な自慢話”。

17歳だった私の作文 (本編)

というわけで、17歳の私の作文です。

なっが~いし思春期感が出ていますが、今proud storyに関わっている子供たちとほぼ同い年だった私のリアルな言葉から、proud storyが生まれた理由を感じていただければ嬉しいです。

愛を込めて。

 

 

題名:”本当の幸せのために”

自分は「かわいそう」だという被害者意識をもって自分自身をかばったことはありませんか。これは私達が潜在的に持っているものだと思います。例えば、小さい頃喧嘩をしていて怒られたときに

「あの子がぶった」

「だってあの子が私のおもちゃ取ったから」

と必死に弁解したことが誰にでも一度や二度はあるはずです。まだほんの三、四歳の頃から、私達はそうやって被害者になることで自分を正当化することを自然と覚えてしまうのです。

 

私はずっと「かわいそう」な子供として振る舞ってきました。

私の父は十年程前に家を出ていったため、私には父親がいません。そのことを知った時、それまで自分の目線で周りを見ることしかしなかった私は初めて自分というものを客観的に見つめました。

そこにいたのは、たとえ子供を失っても一人で生きていける大人とは対照的に、一人では何も出来ず大人がいなければ生きていけない私でした。それまであって当然だと思っていた大人の保護やお金といったものがなければ生きていけないんだという現実を目の当たりにしたのです。

それから私は半分無意識に半分戦略的に、大人に守ってもらえそうな、「かわいそう」と思ってもらえそうな子供になっていきました。そして、自分のことも自分で同情してなぐさめていました。

そうやって毎日過ごすうちに、私は自分の中に二つの性格を感じ始めました。

一つは子供っぽくて周りに甘え、とても幸せな生活を送っている自分、もう一つは計算高くて冷めている子供らしくない自分です。

私は昔からマイペースで穏やかな楽天家だと言われ、実際そうでした。しかし私の中の、人に決してみられることのない所に、楽天家になり切れない部分が確かにありました。その私は、キレイ事だけでは生きていけないと知っているくせに、子供の前では本当は思ってもいないであろう道徳ぶったことばかり並べる大人に対しても、それを素直に受け止め天真爛漫に生きる友人に対しても、バカみたいと思っていました。

そして本当は違うんだ、本当はそんなんじゃ生きてなんかいけない、と他人の同情を買う生き方を自分の流儀としたのです。それが賢い生き方だと信じていました。

また、そんな私をあおるように周りの人たちもよくしてくれました。父親がいないと言うだけで大人は無条件に優しく、金銭面でも常に支えてくれたし、友人は偉いね、頑張ってるねと言ってくれました。

その度私は彼女たちへの感謝の気持ちと心からの幸せを感じましたが、同時にそれが妙に気に障りもしたのです。

しかし、そんな思いは他人にはもちろん、自分の目にも留まらないような所にしまってありました。だから実際はそこまで陰気な生活を送っていたわけではなく、毎日が穏やかで幸せでした。

ただ、その幸せに多少の無理がありました。私は

「本気で求めて本気で努力すれば手に入らないものなんてない」

という言葉が大嫌いでした。その言葉を信じて本気で努力し本気で求めた元の家族はもう手に入らなくて、ただそうやって必死になっている自分の姿が母を傷つけるだけ、

「報われない努力はない」

なんてただのキレイ事じゃないかと思いました。そして

「今自分の置かれている状況のすべてに満足して、それ以上を望まない」

ということこそが幸せにつながると考えるようになりました。

欲さえ出さなければ、私達はとても楽に幸せになることができます。

私は自分よりも「かわいそう」な誰かと、毎日の食べ物や健康な体があって、学校にも通える自分を比べて、私の方が幸せだと自分自身に言い聞かせ、感じさせていました。

そんなことをくり返しているうちにその幸せの定義はすっかり体になじみ、抑えられていた欲望のことなど思い出すこともなく本当に幸せを感じるようになりました。

 

しかし、だんだんと学年が上がり、様々な価値観を持つ人達と出会う中で、それまで賢いと信じきっていたこの生き方に対して疑いの心が芽生え始めました。

私は今再び自分を振りかえり、自分について考えるようになりました。今まで書いてきたことは以前の私であり、この一、二年の間に私の自分に対する見方は大きく変わりました。

 

私は周りから「強いね」「偉いね」と言われてきました。そして私自身も自分は強い人間だと思っていました。しかし、本当は「頑張っているんだね」と言われることなしに頑張れるほど強くはありませんでした。

「こんな逆境の中頑張ってるの、他の子より大変そうでしょ、偉いでしょ?」

と何でも環境のせいにして逃げ道を作り、自分を正当化していたのです。

「かわいそう」

という形容詞は、どこか満たされきれなかった私を悲劇のヒロインに変え、なかなか悪くもない気分を味わわせてくれました。

幼い頃、身の上話は私の武器でした。

 

しかし、高校生になって私が大人として見なされることが増えた今、そんな話をしてみても何にもなりません。

「私はかわいそうな子なんだから仕方ない」

と自分をかばったところで、それはただの言い訳に過ぎず、そこから一歩も前へ進むことはできないのです。言い訳をしながら生きるのは簡単です。しかし、私はそんな生き方を望んでいるのではありません。

 

私には憧れの人がいます。それは私の母親です。私が生まれる前、母は男性にも女性にももてたそうです。その中で父を選んだのは運が悪かったとしか言いようがありませんが、母は今までの人生を後悔したり弱音を吐いているところを私達に見せたことがありません。多くの人達の助けを借りながら、さっそうと働いて娘二人を守り育てた母はたくましく、尊敬しないわけにはいかないのです。大きな不安とプレッシャーの中で、子供には分からない辛さを一人感じていたはずですが、一転した状況の中でも彼女は決して卑屈になることなく、誇り高く生きているように見えます。だから周囲の人達も母を心から支えてくれているのだと思います。

 

以前の私のように同情を集めるのではなく、母のように精いっぱい生きて、そんな自分を誇れるようになってこそ、人と人は認め合うことができるのではないでしょうか。

自分で自分を皮肉っていたのでは、他人との良い関係も本物の幸せも手に入れられるはずがありません。私は他人との良い関係も本物の幸せも手に入れたいです。

だから、この先どんな状況にあっても、言い訳する道を探すことなく、人にも自分にも誇れるような生き方をしていきたいと思います。

 

                              6年C組 津山七未

 

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